先日、夫が
心臓カテーテル手術を受けることになり、
4日間ほど入院しました。
夫は
「成功率が高い手術だし、
来てもらっても特にすることがないから、
お見舞いには来なくていいよ」
と言いました。
ただ、手術後に医師からの説明があるので、
その時だけは来てほしいとのことでした。
私は仕事の予定があるので、さすがに毎日
ずっと病院にいることはできません。
夫も来なくていいと言っている。
理屈ではわかっています。
でも、心の中では何かが
ざわざわしていました。
まるで、
何か大切なことを怠っているような、
後ろめたいような感覚です。
そのざわざわの正体を探ってみると、
自分の中に隠れていた
ビリーフ(思い込み)に気づきました。
「家族は毎日お見舞いに行くべき」
「良い妻は入院する夫の世話をすべき」
そんな声が、
心のどこかで鳴り響いていたのです。
頭では「毎日行く必要はない」
とわかっているのに、
心は「本当にそれでいいの?」
と問いかけてくる。
この「べき」は、
いったい誰が決めたものなのでしょうか。
私が本当に望んでいることなのでしょうか。
私たちは、
自由でありたいと願っています。
自分の選択で、
自分らしく生きたいと思っています。
けれど同時に、
人からの承認も求めてしまいます。
「こうすべき」「こうあるべき」という
社会の期待や周囲の価値観から外れたとき、
「ダメな人」「変な人」「おかしい」と
思われるのではないか。
そんな不安が、心の奥底にあるのです。
今回の私の場合、
毎日お見舞いに行かないことで、
もしかしたら誰かに「冷たい妻」だと
思われるかもしれない。
夫の家族や、病院のスタッフや、
あるいは自分自身からさえも、
認められなくなるかもしれない。
そんな恐れが、
あのざわざわの正体だったのです。
自由になりたい。
でも、認められたい気持ちも手放せない。
この葛藤こそが、
私たちが本当に望む行動を妨げている
正体なのかもしれません。

もしあなたが、
自由になりたいのに
動けないと感じているなら、
こう問いかけてみてください。
「自由になることで、私は誰からの承認を失うと恐れているのだろう?」
「その承認は、本当に私に必要なものだろうか?」
答えはすぐには出ないかもしれません。
でも、
自分の内側にある「べき」に気づくこと。
そして、
その「べき」が本当に自分のものなのか
を問うこと。
それが、選択の自由を取り戻す
第一歩になるのだと思います。
結局、
私は手術当日のみ病院へ行き、
あとはLINEで様子を聞くことにしました。
それが正解だったかどうかはわかりません。
でも少なくとも、
自分の中にあった「べき」に気づけたこと。
そして、それに縛られずに選択できたこと。
そのことに、小さな自由を感じています。
あなたの中にも、
気づかないうちにあなたを縛っている
「べき」があるかもしれません。
それに気づくことで、あなた自身の選択が、
少しずつ変わっていくかもしれません。
ビリーフについてご興味がある方は
トライアルセッションでお話してみませんか?
-------
◆ブログ更新のお知らせをあなたのLINEにお届けします。
LINE公式アカウントでお友達登録をお願いします。
◆WEBサイト
https://twitter.com/coachingnlp_jp/
https://www.instagram.com/coachingnlp.jp/
◆はてなブログで読者になるにはこちらから
-------